ものがたりが始まる

成瀬望の「八百屋barものがたり」と鹿野暮らし通信

高校生のときに書いた展覧会鑑賞レポートより抜粋「寺山修司」


高校生のときに書いた展覧会鑑賞レポートを見つけました。
あのころ夢中になっていたもの。
B4の紙にびっしりとシャーペンの文字が詰まっていました。
レポートは、高校1年の終わりの冬から2年の夏まで4枚。


1枚目は寺山修司について。
2枚目は山田かまちについて。
3枚目は遠野の民話について。
4枚目は宮沢賢治について。


選択授業で取った書道のクラスでの課題でしたが(書道と関係ない展覧会のレポートばっかりですが)、僕はこのレポート作成が高校時代、最もおもしろい授業だったことを思い出します。
読み返してみると、16歳だった自分の言葉にハッとさせられるものもあります。
「進路」というものを真剣に考え、この現実世界をどう生きていくか悩んでいた自分自身が見えるようです。
とても個人的なものですが、一部の文章をここに紹介させて頂きたいと思います。



寺山修司展 テラヤマ・ワールド―きらめく闇の宇宙



『戦いはスポーツだが、勝つことは思想だ!』

彼は野球、ボクシング、競馬が大好きで、さまざまなエピソードや作品があるが、この展覧会でぼくが一番おもしろいと思ったのは、「あしたのジョー」の主人公ジョーのライバル力石徹がマンガの中で死んだとき、力石徹の葬式を講談社講堂で寺山修司が企画演出したことだ。もちろん本物の葬式みたいに真剣にやって、これは当時すごく話題になったらしい。本当に彼らしくて、彼の行動力や発想の豊かさを示したエピソードだと思う。
 また、「競馬文学」を確立したのも彼の功績である。彼は本当にすばらしい感受性の持ち主だったのだ。


『 サラブレットは
走る忘却である
 
大歓声のなかでふりかえっても
そこにはもう
私はいない 』




『 私は肝硬変で死ぬだろう。そのことだけは、はっきりしている。だが、だからと言って墓は建てて欲しくない。私の墓は、私のことばであれば、充分。


 「あらゆる男は、命をもらった死である。もらった命に名誉を与えること。それだけが、男にとって宿命と名づけられる。」ウイリアムサローヤン


絶筆「墓場まで何マイル?」より 』


1983年5月4日、47歳の寺山修司は消えていった。さまざまなところにさまざまな形で膨大な足跡を残しながら…


『 百年たったら帰っておいで
  百年たてばその意味わかる 』


「偉大な質問」になることが彼の宿命であったそうだが、寺山修司の命には、充分名誉が与えられたと思う。
寺山修司は、ぼくの知っている誰よりも遠くへ行った男である。