ものがたりが始まる

成瀬望の「八百屋barものがたり」と鹿野暮らし通信

高校生のときに書いた展覧会鑑賞レポートより抜粋「岩手県遠野」


遠野市立博物館、とおの昔話村、伝承園、遠野トリムFO



岩手県遠野は小さい頃に見たテレビアニメ「日本昔話」の思い出のような懐かしい土地だった。かなり訛りが強く何を言っているのかわからないことがよくあったが、とても親切な人が多かった。野宿をした朝、おにぎりを持ってきてくれた近所の見ず知らずのお婆さんの家には、2泊も泊めて頂いた。


たくさんある民話の中で僕が一番印象に残ったのは、「サムトの婆」に代表される神隠しだった。市立博物館で見た、黄昏の懐かしく美しすぎる映像は、こっそりと人が一人くらい本当にいなくなってしまいそうな感じで、実際もしそこにいたら、吸い込まれて消えてしまいそうだと思った。神隠しに遭うのは、女と子供だけで、黄昏と決まっているそうだ。しかも、黄昏に山に入ると必ず神隠しに遭うと言われている。美しすぎる「別の世界」への入り口はどこへ続いているのか?なぜ「死」ではなく「消える」のか?民俗学はとてもおもしろそうだと思う。



遠野には、暗く生々しい話しがたくさんある。だけど、奇妙に思ったのは、姥捨ての話だった。昔、60歳になった老人はみんな山に捨てられたそうだが、昼間は里まで降りてきて働いていたという。そして少しの食事をし夕方には山へ帰って行ったらしい。姥捨てというのは、老人の受身の話だと思っていたが、この話では自発のような感じがする。どんな気持ちだったんだろうか・・・?



異境の地、遠野。僕が想像していた大昔の日本は、まさに遠野だった。何が懐かしいのだろう?何に惹かれるのだろう?そこには、現代の豊かさとは全く別の豊かさがあるような気がする。