ものがたりが始まる

成瀬望の「八百屋barものがたり」と鹿野暮らし通信

坂口恭平インタビュー「自分のために生きることを止めたとき、躍動した暮らしが始まる」


考える高校生のためのサイト「マンモTV」で、坂口恭平先生の良いインタビューが掲載されていたので、
ここに紹介したいと思います。


http://www.mammo.tv/interview/archives/no281.html


坂口恭平先生は、建築家を目指して勉強していたころ、土地を買って所有して、莫大な金額を払って家を建てて、という「建物を建てる」以前の日本の建築のシステムにそもそもの疑問を感じ、路上生活者の人たちの住宅、生活のフィールドワークを通じて、「住むこと」「家」「所有すること」「生活」「仕事」全部合わせて「生きること」について、様々なフィールドワークや調査、実験、作品の制作を行い、もはや全く建築家の枠に収まらない幅広い活動をされている方です。


なぜ僕が、坂口恭平「先生」と書くかというと、僕は坂口恭平先生に師事しているからです。


昨年坂口先生が始めた「零塾」という、社会を変えようとする人間を育てるための学校に入学したのです。


入学といっても、どこかに通ったりするのではなく、自分でこういうことをしたいと考え、それに対して坂口先生にアドバイスを頂き、自分で動き、報告する、という形の学校です。


坂口先生曰く、「登場人物も内容も時系列も全て現実でリアルタイムで更新されていく永遠小説『零塾』」http://www.0yenhouse.com/zerojuku/に僕のことも実名で書かれています。


坂口先生について、零塾については、また何度もここに書くと思います。


今日は、マンモTVの最新の坂口先生インタビュー記事から一部分を引用しつつ、進路を考えるのに有用になりそうなことを書いてみようと思います。


クラスメイトはとりあえず東大や京大を目指していたけれど、僕は正直意味が分からなかった。なぜ、そこに行きたいのかと尋ねても、誰も答えられないんです。ただ偏差値だけで選んでいる。その割には、その数値がどうやって計算されたかもわかっていない。わかりもしないものに委ねて進路を決めているのが不思議だった。

これは、僕も中高生のころ、全く同じことを思っていました。
中高生の住んでいる世界というのは、「先生」「親」「友達」「テレビ」ぐらいのものがほとんどで(今なら「ネット」もでしょうか?)、
その人たちが言っていることというのは、本当はものすごく偏った限定的なことで、
世の中にはもっと多彩な人生を歩んでいる人がたくさんいて、そういった人たちを知らずに、
世の中のことをろくに調べずに、ただ周りの情報を鵜呑みにしている中高生が世の中に大量にいるのではないかと思っていました。
自分がなりたいものや、なりたい人になるには、どんな能力が必要であり、何をどうやってしなければならないのか、
そういったことを調べることが重要なのに、周囲の友達はそういったことを全く考えている様子がない。

これで人は幸せになれるんだろうか?
なんて当時僕は考えていました。
そう他人のことを考えつつ、自分自身に徹底できていない僕はちょっと情けないですけど。

そこで僕としては、高校生にぜひ言いたい。大学を選ぶよりも先にまずは、自分のやりたいことに携わっている先人である教授を見つけることが大事だよということ。そのために徹底的に調査する。それしかないと思う。先人が見つかれば、受験で落ちたってかまわないのだから。ただ会いにいけばいい。

これは坂口先生の教えを受けて、まさしく僕がいま現在やっていることでもあり、進路を考える上で、とても有用なアドバイスではないかと思います。
坂口先生の進路を考えるアドバイスとしては、このインタビューでは語っていませんが、零塾のサイトに書いてある「3つのことに絞って集中し生活を単純化する」「十年後やることを考える」ということもとてもいいアドバイスだと思います。

彼らは都市において唯一自力で家や仕事、生活を発明し、つくりだしていたからです。普通に都市で暮らしている人たちが「利用価値のないゴミ」と見なすものを自然素材のように扱っていたし、彼らはまるで鳥が小枝で巣をつくるように暮らしていた。お金が極力かからない生き方をしていた。


考えてみれば、水も空気もタダで手に入るもので、土地も人がつくりだしたものでなく、自然に与えられたものでしょう?


本来は所有できないものが誰かに管理されていて、それを使うため、買うために働き続けないといけない僕らの暮らしは、ちょっとおかしいのではないか?そう思うようになりました。


路上生活者に関心を持つようになった理由を坂口先生が語っています。
建築家になりたいという発想から、こんなところまでたどりついているところが坂口先生の凄いところだと思います。
こんなこと考えても仕事にならないとか、割り切ってしまわずに、徹底的に掘り下げていくことが、オリジナルを生むのだと思えます。


深く考えない上に、知らないまま物事を断定するのは罪です。知らないことはどれほど怖いことか。知れば変わります。そして、問題は現実を根源から変えるには、法律をわざわざ変える必要はないということです。


というのも、憲法25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と書いてあるわけですから、本当はホームレスや生活苦から自殺してしまう人が存在していること自体が違法な状態です。こういう事実は高校生にも知って欲しいですね。


自分の頭で考えて調べていくと、事実は世の中の思い込みとは違ったりすることもあるのです。
「深く考えること」って、心の中で「深く考えよう」と思ったからといって「深い考えが出てくる」わけではないですよね。
徹底的に調査し、確かめ、今まで知らなかったことを知っていく中で、少しづつ「深く考えること」ができるようになるのでしょう。


仕事をして昼からお酒飲んで好きな音楽を聴いて、俳句を詠む暮らしをしている人に、「あなたは幸福なんですね」といったらその人は「幸福なんじゃなくて生きているだけだよ」と返した。その時、僕はピカーンと来た。つまり「なんで人は生きている理由や意味を探してしまうのか」と思ったわけです。

つまり、彼らは「おまえは生きてないんだろう」と言っているわけです。彼らは生きる=幸福だと言っている。生きることの幸福さに気づいている。


「生きる意味は何だろう?」と問う人たちは、幸福ではないところから人生が始まっている。

フランスの哲学者は「子供は幸福だから笑うのか」と設問した上で、「そうではない。笑うから幸福なんだ」と言った。ある種の行動から幸福が生まれていて、ここでいう「笑う」は生きるという言葉に置き換えられるでしょう。生きるから幸福である。ここで再び問うならば、では生きるとは何でしょうか?


常識や思い込みという「見えない壁」が世の中にあふれ、自分の中にもたっぷりと「壁」はあるのです。
大変で苦労していたり悩んでいたりすることも、視点や考え方のスイッチを切り替えるだけで、全く変わるのかもしれません。

これは「生きてるだけで幸福なのに、それを幸せと感じられないのは贅沢」というような話とは全く違うことですよね?

「生きている」=「幸福な」人は、生きている理由を必要としない。生きてるから。

これって一瞬あたまが回りそうで、はっきりと意味が僕もわかっていませんが、

ものすごいシンプルで重要なことを言っているのではと思います。


そうです。僕は「じゃあ、あなたがたは何のために働くのか?」と言いたいわけです。誰しも「こういう世の中ならいいな」「本当はいまの暮らしは嫌だ」とか自分の考えをもっていますよね。


でも、やりたいことを選ばずに嫌々働いたりしている。徹底的に考えずに「やりたいことをするのは無理だから」という理由で、胸の奥に思いを秘めつつ、人から言われたことをやっている。


僕からすれば、そういう引き裂かれた思いで暮らすなど、狂気の沙汰ですが、これが路上生活者を落伍者と蔑む人の思考回路でもあるわけです。


人生の中で立ちすくんだことがないから、自分が当たり前だと思っている外の世界が想像もできない。そういう体験のなさは、いかに野生の思考をしてこなかったかの証明ですよ。


労働している人は自分の時間をもっていません。人に動かされる時間は全部盗まれているということで、そこはミヒャエル・エンデを読んで欲しい。エンデに興味をもてば、彼がシルビオ・ゲゼルという経済学者に影響を受けており、貨幣や土地の問題を考えていたこともわかってくる。徹底して考えるとは何かの気づき直し、生き直しなんです。


自分のためでなく、誰かのために何かをやろうと思った瞬間に、人もお金も必要なものがやって来る。自分のために生きないことを選んだことで、人は人から必要され、仕事が生まれる。そこに強いられた労働は一切ありません。これこそが仕事であり、生きるための技術になるのだと思います。


「エンデ遺言」とうい名著があり、去年僕も読んでとても大きなインスピレーションをもらいました。
お金という身近なものが、人間の心と社会にどんな影響を与えているのか、いままで考えてもみなかったことに気づかされました。


この文章は、「自分のためでなく、誰かのために何かをやろうとする」という言葉に、とても深い意味があると思います。
坂口先生の影響を受けて、僕もこのブログを、ただの日記ではなく、進路など生きかたなど、僕と同じような疑問や悩みを持つ人の役に少しでも多く立てばという気持ちでつくりました。


坂口先生の言っていることは僕には、「何かとても重要なことが書かれているのはわかるけど、それが何かまったくはっきりくっきりはわからない」ので、わかりにくい変な補足の文章を書いてしまったかもしれません。ごめんなさい。わからないからこそ、坂口先生の考えていること、していることはおもしろく、一生懸命そこから学ぼうと僕はしています。


最後に一つジェームス・ディ−ンの言葉を引用します。


君にはこんな経験はないか。つまり、自分のしなくてはならないことが何かあるのがわかっていて、しかしそれが何なのかははっきりつかめない。そんな経験はないかい。おれにわかるのは、何かをしなくてはならないのだということで、それが何なのかよくわからない。時がくればわかるだろうが、俺は本物をつかむまでやるんだ。わかるかい。