ものがたりが始まる

今日の成瀬望

だから僕は高校の授業中に本を読み出した。




目的なく高校に入学した僕は、
それでも高校生活をエンジョイしました。
中学までとは違った、大人っぽく、
個性の強いおもしろい同級生達。
そして部活。学校で練習するだけじゃなく、
毎日家や近くの堤防で練習し、
週2回は近所の社会人サークルに顔を出して練習もしました。
部活の後は毎晩部室で、用務員さんに追い出されるまで遅く、
男女一緒にさまざまなことをダベって、
みんなで買い食いしたり、バーベキューをしたり、
花火をしたり、プールに行ったり、
スキーに行ったり、誰かの家に泊まったり。
これが「青春」なのかなと自分でも当時思っていました。


だけど、「ジパング少年」を読んだり、
山田かまちに感銘していた当時の僕は、
自分の「生きる意味」、
「感じなくちゃならないこと、
やらなくちゃならないこと、
美しがらなくちゃならないこと」を
ずっと常に考えていました。


高校2年になったとき、僕は授業中、
先生に隠れてとにかくいろんな本を
必死に読むようになりました。
勉強よりも本を読むほうが
人生の肥やしになると思ったからです。
でもそれもすぐに先生に気づかれることに
罪の意識を感じるようになりました。
この高校は受験勉強するための学校なのに、
僕は受験勉強をしていない。
僕がここにいる意味はなんなんだろう?


こうやって意味を考えながら生きていくことは、
もしかしたら病気なのかもしれません。
いまの自分のちっぽけな頭で考える意味なんて浅はかで、
本当の意味というものは生きていく中で偶然に、
新しい感覚や考えと出会い、
あとで振り返ったときに見つかるもの、
かもしれないからです。


当時の僕はこう考えました。
どんな生き方にも必ず意味がある。
言い方を変えれば、


人間は自分の人生を肯定してしまう生き物なんだ。

意味なんて後で見つかる。


だから、いま、受験勉強に意味が感じられないという自分の感覚を重要視し、
この選択がもし何かとてつもない失敗だったとしても、
将来振り返ったときに、僕はきっとこの選択に、
人生においての大きな意味を見つけるだろう。


中学校のときに観て感動した「いまを生きる」という
映画がありました。


「いまを生きる」


それはどうすればいいのか?
部活や学校生活は楽しいけど、一日の大半を
興味のない勉強に費やしているとき、
自分はいまを生きていない。


やっぱり中学3年のときに、本当の意味で自分の進路に
向き合わなかったからツケがまわってきたのです。
このままいったら、
高校3年でまた進路がわからなくなってしまう。
ひとり、危機感を募らせていました。


「とりあえず勉強をする」前に、
自分の人生に向き合わなければならない。






ハル:なんつうか・・・感覚なんだよな。
    お前らだって覚えあっだろ?
    日本にいて感じる独特の不安感・・・

かんな:アタシもあった。自分が何をやりたいのかすらわからずに、
     夢さえもどっかうつろでそらぞらしく思える不安。

ハル:結局よ・・・ゼロを見ることなく百や千から
    始まらされてたんじゃないかな、俺達・・・
    気がついたらいきなり百の場所に立ってんだ。

かんな:うん、しかもその先きっちりレールが敷かれててね・・・
     原点の必要ない応用とアレンジばっかり・・・・

ハル:俺は、どうしてもゼロから始めたかったんだ。
    それが今日やっとつかめた気がする。


                  マンガ「ジパング少年」より