ものがたりが始まる

今日の成瀬望

勝者と敗者。「勝つことは思想だ」



先日、僕が大学院に行こうかと言うと、
ある知人からメールで言われました。


「大学院いっても勝者にはなれない」


その言葉の意味するところはさておき、表現が自分の中で
なんだかひっかかったので、
「大学院いっても」の部分を、
いくつかの言葉に入れ替えてみました。


「大学院いっても勝者にはなれない」
「東大いっても勝者にはなれない」
「いい会社に就職しても勝者にはなれない」
勝間和代(ビジネス書)を読んでも勝者にはなれない」
「バンド(音楽)が上手くなっても勝者にはなれない」
「金持ちでも勝者にはなれない」
「女にモテても、勝者にはなれない」
「頭がよくても、勝者にはなれない」
「やさしくても、勝者にはなれない」


これらの言葉のモヤモヤ感はいったい何なのでしょう?


そう思っていたとき、「昭和のエートス」という
内田樹先生の本を読んでいたら、
ヒントが載っていました。


(P.52〜54)
「負け方を習得する」

家族でも学校でも、私たちは「どうやって競争に勝つか」を教えられる。
しかし、現実の生活では、私たちは決して「勝ったり、負けたり」しているわけではない。
むしろほとんどの場合、私たちは「負けたり、負けたり」しているのである。

夏の甲子園高校野球は4000校以上参加し、勝利するのは一校。
あとの学校は必ず一度は負ける。
人生においても、私たちは考えてみると
ほとんど負けることばっかり。
だから、「適切に負ける」仕方を学ぶことが
重要だということが書いてあります。


そしてその「適切な負け方」とは、


第1「敗因はすべて自分自身にある」というきっぱりとした自省。
第2「この敗北は多くの改善点を教えてくれた」と総括すること。
第3「負けたけれど、とても楽しい時間が過ごせたから」という
   愉快な気分で敗北を記憶し、
   ここまでやってこられたことを周囲の人々に「感謝する」こと。


だそうです。まあ、あたりまえのようですが。


そもそも私たちは、「勝者になれない」人ばっかりなのです。


そもそも「勝者」というものは
閉じられたスポーツやゲームの中でしかないもので、
実際の人生は勝敗の定義もあいまいで、ルールだって
どう変わるかわからないもの、ではないでしょうか。
そういった状況の中で、私たちに必要なのは
明日がわからないことを楽しむ
ということだと僕は思うのです。


スポーツや競馬、ゲームを愛した寺山修司は、


「戦いはスポーツだが、勝つことは思想だ」


と言っています。


どうやったら勝者になれるのか?
それは私たちみんな個人個人バラバラで
違う答えがあるのではないでしょうか?


たとえ負けても、
「戦ったこと」に意味があるのが人生
だと僕は思いたいです。
みんな負けてるんだし。