ものがたりが始まる

今日の成瀬望

学校の勉強とはなんなのか?受験勉強とは何なのか?


僕は勉強が子供のときから好きで、小学館の「算数おもしろ大辞典」みたいな本が僕のバイブルでした。
小学校は、何のために勉強するのか、勉強のおもしろさは何なのか、担任の先生のおかげもあるのでしょうが、とてもワクワクし納得していました。
中学校の勉強は、やや暗記が増え、純粋に学校の勉強の内容にだんだん興味が持てなくなり、中学3年の夏、「意味とかは置いといて、ただ暗記して組み合わせをするゲーム」だと勉強を割り切ったとき、成績が急上昇しました。
高校の勉強は、最初の1年間は一応きちんと勉強しました。でも、中学よりもさらに暗記が増え、抽象的になり、もはや人生における意味がほとんど感じられなくなりました。人生における必要性は誰も感じていないけど、受験のために必要だから、という感じがプンプンしていました。
それでも単位を落とさない範囲で、高校2年の終わりまで僕は一応勉強しました。正直に言うと、物理だけ1単位落としました。完全に暗記の科目でしかないことに腹を立てて白紙でテストを何度か出して0点だったのです。


勉強って何なのでしょうか?


自虐的ですが、中学生のときに、俺は暇だから勉強しているのかと思ったことがあります。
人生で他にするべきことがないから、勉強しているのか。


「やってみないとわからない」という言葉がありますが、中学3年のときに必死勉強するということを1回体験しているし、2回目はもう必要ないだろうと思いました。


なぜ大学に入るのに、大量の暗記が必要なのか?大学でその知識をどう使うのか?大多数の人達が、そういったことがはっきりわからないことに目をつぶって、キツイ言い方をすれば子供も大人も一生懸命に茶番劇を演じている。僕の目には高校がそう映ったのです。


それに、暗記のゲームを学ぶ場としては、高校はとても効率が悪い。自分一人でやった方が、よっぽど早く覚えられるなんて生意気にも思っていました。


当時、担任の先生との進路面談で、「受験勉強がしたくないんです」と言って笑われましたが、自分でも馬鹿げていると思いつつ、真剣に自分の中では大きな問題だと思っていたのです。



教育。――「よく噛むんだよ」とお父さんが言う。そこでよく噛んで毎日2時間ずつ散歩をして、冷水浴をした。だがやっぱり不仕合わせな無能な人間が出来上がった。
アントン・チェーホフ  「ポケットに名言を」(寺山修司)より