ものがたりが始まる

今日の成瀬望

パパラギ 神さまの光り

上勝に行く前に書いていた書評文章をアップしてみたいと思います。


「パパラギ―はじめて文明を見た酋長ツイアビの演説集―」
エーリッヒ・ショイルマン 翻訳・編さん 岡崎照男 日本語訳
アマゾン


1920年代に書かれたヨーロッパを訪れたサモアの酋長による文明批判。
ずいぶん前に読んだ本で、会社の先輩女性が退職されるときに、
この本をプレゼントしたこともあります。

産業革命後の文明の中で、いつの間にか当たり前だと思っている
様々なことに疑問を投げかけてくれ、
昔ながらの生活をするサモアの人たちが、
ちょっと羨ましくなってしまうような、そんな本です。


もてなしをしたからといって何かを要求したり、
何かをしてやったからといってアローファ(贈り物・交換品)を
ほしがるような人間を、私たちは軽蔑する。という尊いならわしを、
私たちは大切にしよう。ひとりの人間が、他の人たちより
ずっとたくさんの物を持つとか、ひとりがうんとたくさん持っていて、
他の人びとは無一物、というようなことを私たちは許さない。
そのならわしを大切にしよう。そうすれば私たちは、
隣の兄弟が不幸を嘆いているのに、
それでも幸せでほがらかにしていられる
あのパパラギのような心にならずにすむ。
(P.46〜47)


便利なものがたくさんあるのに、
その割に精神的な満足感が得られていないのは、
心が貧しいからだと、痛いところを突かれたような言葉が
たくさんならんでいます。



時間というのは、ぬれた手の中の蛇のようなものだと思う。しっかりつかもうとすればするほど、すべり出てしまう。
(P.65)

時間は静かで平和を好み、安息を愛し、むしろの上にのびのびと横になるのが好きだ。
(P.65)

豊かになってあまり働かなくてもやっていけるようになるはずだったのに、
そんな夢の休日だらけの21世紀は来なかった。



神さまはもうほとんど何も持っていない。人間がみんな盗んでしまって、おれのものとおまえのものとに分けてしまった。
(P.70〜71)

この酋長ツイアビの言葉は独特の例えや表現が使われていて、
ちょっと変だけどすごく上手い例えが多いです。

国、法律、所有、科学、消費。
それら人類の物質的な豊かさを飛躍させたシステムの欠点は、
何だったのだろうか?



考えるという重い病気
(P.105 章のタイトル)

頭とは方法が違うにしても、皮膚だって手足だって考えるのだ。
(P.108)

“悩みをこじらせているとき”にも、効きそうな言葉。
皮膚や手足、心で覚えたことは、
頭で覚えたことよりもずっと忘れにくい。



「大きな声を出さないでくれ。おまえの言葉は、くだける波の音、ヤシの葉ずれのざわざわだ。おまえの顔が喜びと強さにあふれ、おまえの目が輝かないかぎり、そしておまえの姿から、神さまのお姿が太陽のように射して来ないかぎり、おまえのおしゃべりはもうたくさんだ」
(P.124)


パパラギ(白人)に対しての強烈な否定。


この最後の言葉はとても好きです。

神さまの光り、そう、それはたがいに愛し合い、心にいっぱいのタロファ(サモア語で、あいさつ。直訳すると「愛しています」)を作ること。
(P.125)

ネットでちょっと検索すると、
これはエーリッヒ・ショイルマンの創作であるという内容が
たくさんヒットしますが、たとえ事実とは違ったとしても、
ここに書かれている言葉は多くの人に現代社会について
考えさせられる内容には違いありません。

あとがきによると、
エーリッヒ・ショイルマンは裕福な家庭に生まれた後、
なぜか生活に満足できずに放浪の人生を送ったそうです。



世界は楽しくて安心できるところで、
誰の心の中にも「神さまの光り」がたくさんある。
僕はそう思いたいです。


常識・道徳性の高さで法律や国家システムのない部分を
カバーしているこのツイアビの世界。
システムに頼り過ぎて、常識・道徳性を失っている私たちの世界。
そんな対比を思い浮かべました。