ものがたりが始まる

今日の成瀬望

「読書について」辛口ショウペンハウエルおじさんの教え

この本も、上勝に行く前に読んで大変おもしろかった本で、
感想を書いていましたが、ブログにアップしていなかったので、
あげておきます。


「読書について 他二篇」
ショウペンハウエル著
藤忍随訳 岩波文庫
アマゾン


この本も、最近読んで10年後も
おそらく内容が記憶に残り続けるであろう
インパクトのある本でした。
しかも薄くて読みやすいです。

表紙に書いてある毒のある言葉で、まずインパクトを与えられます。


読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。
(P.127)

ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失って行く。
(P.128)


じゃあ、書を捨てて町に出ればそれでいいのかというと、

読書と同じように単なる経験もあまり思索の補いにはなりえない。
(P.17)

という言葉をショウペンハウエルおじさんは繰り出してきます。



この本は、
本を読み、それをいかに自分に役立てるか。
そもそも学ぶとはどういうことなのか。

その考え方に大きなヒントをくれます。


著者の「何について何を考えたか」は大事ではなく、
「どのように考えたか」に着目する。
素材ではなく、形式に着目するというこの部分に、
頭のネジを2、3本ぶっ飛ばされました。



ある精神的作品、つまり著作を一応評価するためには、その著者が何について、何を考えたかを知るには及びない。そういうことになると、その人の全著作をことごとく読み通す必要がでてくるかもしれない。そういう大変な仕事にとりかからなくても、さしあたって、彼がどのように思索したかを知るだけで充分である。ところで、この「いかに、どのように」は言い換えればその人の思索にそなわる固有の性質であり、それを常にすみずみまで支配している独自性である。思索のもつこの性質を精密に写し出しているのが、その人の文体である。
(P.56)


「何について、何を考えたか」という素材ではなく、
「どのように考えたか」という思索の形式に着目し、
その思索の形式をもって、
“自分で自分自身の問題について考える”
ことの重要さをこのショウペンハウエルは
言っているのだと思います。



自分の思索で獲得した真理であれば、その価値は書中の真理に百倍にもまさる。
(P.9)


第一級の精神にふさわしい特徴は、その判断がすべて他人の世話にならず直接自分が下したものであるということである。
(P.18)


ほとんどの思想は、思索の結果、その思想にたどりついた人にとってのみ価値をもつ。
(P.21)


真に価値があるのは、一人の思想家が第一に自分自身のために思索した思想だけである。
(P.22)


紙に書かれた思想は一般に、砂に残った歩行者の足跡以上のものではないのである。歩行者のたどった道は見える。だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。
(P.129)


自分で考えることの重要さ。

自分で“どのように”を考えて経験する人の思想や表現は、
“表現が簡潔で”
“すべてそのまま目撃できるように具体的である”
という言い方をしています。
会話であれば、何を話しているかよりも
“第一に知性、判断力、活潑な機知”が優れていることが
「会話の才能」であると言っています。



真の才能に恵まれた頭脳の持ち主であれば、だれの作品でも平凡な人々の著作から区別される。すなわちその断乎たる調子、断乎たる態度、それに伴う明晰判明な表現法がその特徴である。
(P.18)

表現の簡潔さとは、真の意味ではいつもただ言うだけの価値があることだけを言い、だれでも考えつきそうなことにはいっさい、冗長な説明を加えないこと、必要なものと不要なものとを正しく区別することである。
(P.75)


簡潔さと同時に、“どのように”が充実していれば、
日常のありふれた物事を素材に思想を書く方が良いと言っています。

一人の著作家が読むに値するものをする場合、材料に依存する度合が少ないほど、その功績は大きく、またそれどころか利用する材料が世間周知の陳腐なものであるほど、一段とその功績は大きい。
(P.35)

「愚者も自分の家の中では、他人の家における賢者より物知りなり。」(スペインの諺)
(P.38)


そういえば、小学校や中学校で「もの知りはかせ」という
ニックネームの存在がありました。
辛口ショウペンハウエルおじさんなら、
彼を八つ裂きにしてくれそうです。




“何を”ではなく、偉大な先人が“どのように”
考えたかを知るには、

「反復は研究の母なり。」重要な書物はいかなるものでも、続けて二度読むべきである。
(P.138)


という具体的アドバイスが1つ載っています。
これは僕も最近実践しています。
最近読んだ昭和の大ベストセラー
「知的生産の技術」(梅棹忠夫著)にも、
梅棹忠夫は「重要な本は3度読む」と書いてありました。
一度読んで、机の上や目に入る場所に数日積読
(つんどく。本を置いておくこと)し、
もう一度読んでいたそうです。(正確には“2度読む”ですね。)



ショウペンハウエルおじさんから僕がこの本で学んだことは、
まとめるとこの3つです。


● 何を考えたかではなく、どのように考えたかが重要である。

● 本当に価値ある思想は、断乎たる調子、簡潔な言葉で
  日常的な出来事と結びつけて話せる。

● “学べ”




本の最後には短い詩が載っていました。


重い鎧も、今は翼ある衣、
苦しみは束の間、喜びは永遠(とこしえ)。
(P.147)

「苦しみは束の間、喜びは永遠(とこしえ)」


学ぶことの大切さを説きつつ、
辛口のショウペンハウエルおじさんが、
急にやさしく「がんばれよ」とそっと背中を押してくれたような、
そんな気分で読了しました。



.