ものがたりが始まる

今日の成瀬望

内田樹講演「私が白川静先生から学んだこと」③

以上、僕なりの“祖述”でした。
述べてつくらず、と言っても、やはり言葉を理解する上で
自分の解釈というフィルターがかかってしまう気がします。
記憶があいまいな部分も多々あり、
内田樹さんが言っていないことまで書いてしまったかもしれませんが、
それも「僕が学んだこと」ということで。


「未来に出来るようになる」より「過去に出来ていた」と言われた方が、
人は勇気付けられるという話は、
always三丁目など近年の昭和懐古と僕の頭の中で結びつきました。
“新しい”未来のSFを空想するより、過去の懐かしさを感じるものを
現在のテクノロジーで復元していくという方向に考えていった方が、
何か新しいことを発想し世の中に広めたい場合、
社会への浸透度が高いのかなとチラと思いました。

「なつかしさを頼りに未来を手探りする」という方法です。


呪術、世界の神話的構造という考え方に対しても、
この講演で非常に面白みを感じました。
現在も、呪術は実際に機能しているという見立て方、
ハマりそうです。


祖述の話を聞いているとき、
以前、「日本人はダメだ」という海外に住んでいる人の意見を
紹介して、僕がキレられたことを思い出しました。

「(日本人はダメなんて)言ってるそいつは成功しているのか?」
(「そいつは金持ちなんか?」)
と言われて、
「そういうあなたの今の発言のように、
“意見”と“人格”“ステータス”を分けられない発想をする日本人が
おかしいってその人は言ってるんですよ」
と返したらこんなに俺をアレする人間は初めてだ、みたいなことを言われました。

「他人に嫌われようが世界を敵にまわそうが、
言わなきゃいけないと思ったことは言いますよ」
ついとがったことを言ってしまいました。

「君がそんな考えで成功できるのか楽しみだ」と
スマイルで握手を求められ席を立たれてしまいました。
困りました。
(ふと気づいたけど、これ、そもそも僕の考えじゃないけど。
何でこうなっちゃったの?!)


もしこれが、自分の意見だったら、ちゃんと相手を
そんなに怒らせる前にストップ出来ていた思います。
他人の意見だから、ある意味クールにずけずけ言ってしまったと思います。
客観視しているから、鋭い部分があるということです。
これは僕の祖述の“なまみの体験”かなと思います。

でもこんな自分が嫌に思った話を書くと、
自分も呪詛を発信しているようでちょっと気分が悪いですね。
呪詛よりは祝福を心がけたいと思います。


以上、講演の内容は以前、内田樹さんの本で読んだことがあったりして
聞いたことのあるような感じでしたが、とても楽しめました。



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