ものがたりが始まる

今日の成瀬望

「家出のすすめ」を読んで家出した。

長編。誰か映画化してほしい。




家出のすすめ」「書を捨てよ、町へ出よう寺山修司の評論の代表作の2作。


寺山修司が16歳のときの僕に教えてくれた一番大きなことは、退屈な人生を打ち破るには、日常を出て外から眺めてみることが必要だということです。


「家出のすすめ」は、家族とは最初から「在る」ものではなく、自分で努力して作り上げて家族に「成る」ものだから、青年は自分の中でイエとは家族とは何かをゼロから発見するために、一旦、家出をしなければならない、といった内容で、これらの本を読んだ当時のたくさんの若者が、田舎から家出して東京に出てきたといいます。
「青春扇動家」というふうに他称だか自称だか忘れましたが、寺山修司は当時呼ばれていたそうです。


時代は高度経済成長。田舎でくすぶって農家で一生を終わるより、東京に出て輝いた都会の人生を送りたいといったような、憧れを持った若者達に「行けば行ったで何とかなる」から親の反対を押し切って東京に出てくればいい。東京に出てきて今までの田舎での日常を振り返ればこそ、自分の人生と向き合うことが出来る。といったようなことを寺山修司は呼びかけました。



駅を走る寺山修司


当時本を読みながら、僕は僕にとって、逃げ出すべき日常は、いったい何かと考えると、それは家族ではなく、「勉強」なのではないかとひらめきました。
勉強するのが当たり前。毎日学校に通って、宿題をして、受験をして大学に行く。
こうやってずっとぼんやりと当たり前だと思って生きてきた日常=「勉強」そして「学校」から、家出(脱出)をすることで、自分の人生に疑問符を差し込む。そこから人生の新しい景色が見えるんじゃないか。
そう考えました。


5月か6月ごろ。高校2年の楽しかった修学旅行から帰ってきて、ちょっと経った頃。
僕は決意しました。
日常から非日常へ。そして新しい日常を見つける旅へ出る。



写真http://www.morguefile.com/archive/display/685258










1日目。



写真http://www.flickr.com/photos/y_i/2330044065


その日、朝ごはんを食べ終わって母親に、今日から旅に出ると伝えた。
母は仕事に行く前だったので、気をつけて疲れたら無理せずに帰ってくるんだよと慌ただしく言って出て行った。
僕はいつもの通学リュックの中に、小学校のときに理科で使ったプラスチックのコンパスと、中学校で使った地図帳と、貯金3万円と、代えの下着一枚と、寺山修司の文庫本だけを持って家を出る。梅雨の時期だったので、傘を持っていこうとすると、高校に傘を忘れてきたのを思い出して、学校に取りに行くことにする。


高校の入り口に着くと、始業のチャイムが鳴り、近くにいた男の先生から「早く教室に行け」と言われ、僕は傘を傘たてから抜き、「すみません。ちょっとだけ部室に行きます」とか何かを言って、再び校舎を出た。
こうして僕は、何の準備もほぼなく、ある日突然に、日常から脱出することに成功した。


校舎を出て、コンパスを取り出し、東の方角へ道をひたすら歩く。
現在地大阪。東京へ行こう。もし行けたら群馬県山田かまち美術館も行きたい。


バカだとわかってるけど、この旅は平凡で退屈な日常を断ち切るためだから、準備もしないし、自分の予定や想像を裏切ることが重要で、神様が驚くほどの予想出来ないことこそ、起こってくれ。そう思って旅を始めた。

どっかへ走って ゆく汽車の
75セント ぶんの 切符をくだせい ね
どっかへ走って ゆく汽車の
75セント ぶんの
切符をくだせい ってんだ

どこへいくか なんて
知っちゃあいねえ
ただもう こっから はなれてくんだ
―――ラングストン・ヒューズ―――


知っている景色はすぐに、知らない街の景色に、そして知らない田んぼや畑の景色、山の景色に変わっていく。
今頃、2時間目かな、とか、今ごろ教室でみんな昼飯喰ってるんだろなとか、誰も俺がこんなことをやってるって想像出来ないだろな、とかそんなことを考えながらひたすら歩く。
昼ご飯はコンビニのおにぎり。
山の道路を車に轢かれそうになりながら、歩き続ける。
山の中の道路って、歩く人用の歩道がほとんどないんだな。
日本は山が多いから、ホントにちょっと歩くとすぐ山にぶち当たるんだな。


コンパスの指すほうへ、工事現場も高速道路も全部ほとんど関係なし。くねくね曲がる高速道路をよじ登って進入して、またよじ登って脱出して、またよじ登って、高速の出口はほふく前進で職員用通用口みたいな感じのところをよじ登って脱出。


足が痛くなったけど、一日で大阪から京都へ入れて満足した。
ケータイで改めて親に旅に出たことを連絡。
晩飯を食べようと思ったら、京都の山の中でどこにも店がなくて、ひたすら街の光を目指して山を下ったら、やっと高級レストランみたいな店を発見。
女性主人に旅のいきさつを話し、それとなく無銭飲食と宿の提供を期待するも撃沈。


結局、この旅は全部で7日間だったが、寝袋もなしに、全野宿だった。


初日は、人気のない暗い道の端っこの建物の影で傘をさした下で地面にダイレクトに寝そべる。寒くて怖くて、誰かが来たらどうしようという不安と疲れの中で、気配を殺して獣のように眠る。






2日目。



写真http://www.flickr.com/photos/deapeajay/3118718461/




真夜中、気が付くと雨が降っていて、地面が濡れていて、どうしても横になると体が濡れるので、ウンコ座りのまま3時間ほど眠り、しびれた足で立ち上がると、急になぜか腹が立ち、近くの駐輪場で自転車におしっこをかけた。最低の人間。


人が来ないうちにと、早朝から歩き始める。ずっと雨。
相変わらず山道を歩き続ける。足が痛いので、様々な歩き方を研究する。
山道の道路脇ってほんとにエロ本がたくさん落ちていることを発見。
トラックの運転手が投げ捨てているのか?


夕方、滋賀に突入。
公園の地面の水溜りで靴下、Tシャツ、パンツを洗う。というか濡らす。
歩きながら体温で乾かそうという無謀なトライ。
近くのコンビニで一番安かったので買った冷たい蕎麦を食べる。
冷たい蕎麦なのに、食べると冷えた体が温かくなった。


しばらくして気が付くとなぜか精神病院っぽい施設の敷地の中にいた。


「お元気ですか?」


突然、目の焦点がいまいち合っていないおじさんに声をかけられる。「えっ?あ、はい」とか返事すると、おじさんが「ほーほーほー」とフクロウのように叫んで走りだしたので怖くなって走って逃げた。
たぶん山の一角が全部病院だったんだろう。
それから、小さな町に入ったけど、町中の人が僕を確実に変な目で見ている被害妄想のような、妄想じゃなくて現実に見られているような、恐怖にかられた。
町中に陶器のたぬきとかの置物があって、そいつらでさえ、僕を見つめていると思った。


足が痛くて見ると皮が剥けて血が滲んでいた。靴は雨でぐちょぐちょ。
服は乾かないし、惨めな気持ちでまた人気のない建物の前で寝そべる。
寒くて怖かった。


俺は何してるんだろう?という疑問と、日常から離れて遠いこんなところまで来たという充実感の混じった気持ちでがんばって熟睡。






3日目。



写真http://www.flickr.com/photos/30591976@N05/4092467055/



一刻も早くこの町から逃げ出したいという思いで、早朝からひたすら歩く。
早朝に起きるのは、地面で寝ているところを人に見つからないためでもある。


足が痛くて歩きづらい。
昼頃、靴を脱ぐと両足とも複数個所皮が剥けてから血が出てる。梅雨の時期に歩いて旅に出るからバカだけど、しょうがない。
睡眠不足と足の痛みがどうしようもなく、店が見つからないので、また、スイス風みたいな建物の高級レストランに入る。温かいし、高い料金を払ったので、食後、テーブルにうつ伏せて仮眠。このポーズで毎日授業中に昼寝してたよなと思い出す。
汚いしボロボロで店の人にかなり迷惑だろうと思ったので、1時間以内で起きて再び歩き出す。


すぐに足が歩けないほど痛くなり、こうなったらついにヒッチハイクかなと思い、どうせなら高速だと考えて近くのインターチェンジを目指す。


真夜中にやっとたどり着き、閉店間際の食堂で温かいカレーライスを食べる。
トイレの手を乾かすヤツで服を乾かそうとする。
外に出てふと気づくと、バス乗り場がある。
何気なく見たらハイウェイバスと書いてあって名古屋まで3千円ぐらい。東京まで6千円ぐらいの値段だった。コンビニで食事を買ったりするだけで数日でこれぐらいかかるよなぁと思ったので、これに乗ることを決意。
すでに最後のバスが出た後だったので、翌朝乗ることにする。
休憩所の前のパラソルの下に椅子を並べて寝ることにする。
明かりもあるし、ほどよい人気で、逆に怖くなかった。


夜11時ごろぐらい、人の気配を間近に感じて跳ね起きる。
タバコを吸い酒を持った同い年くらいのジャージの2人組みが目の前に。相手もわっと驚いている。一人は金髪。


「何やってんの?」「金持ってんの?」


完璧に不良少年に絡まれた図になっていて、でも警戒しつつ全て質問に答える。
ガソリンスタンドをクビになった等、少年がだんだん自分達の話しを始める。
彼らは1歳年下の15歳で中学を卒業したばかりとのこと。
しばらく話したあと、一人が家に帰っていき、ガソリンスタンドをクビになった金髪の少年の方が残り、家に来ないかと誘われる。彼は雑誌のモデルか何かもしており、タレントになりたいと言っていた。
家に着き部屋に入ると、暴走族の特攻服がかけてあり、いろんな写真などを見せてもらった。どうやら中学のときにイケイケで、卒業してガソリンスタンドで働きだしたら人生がいまいちだと感じているようだった。


「おまえ童貞?」


突然聞かれてそうだと答えると、かわいくてやらせてくれるオンナを紹介してやると言い出した。
電話をかけてその女の子とちょっと僕のことを話していたが、家出少年がいま家にいるということを信じてくれないからと言って、受話器を僕に渡してきた。
僕と同い年で16歳だという女の子は、なんで家出してきたのかとか、旅に関してのいろいろな質問をしばらくしたあと、


「で、童貞なん?」


と聞いてきた。
高校のクラスや部活の女の子達とあまりに違う話し方に、とまどいつつドキドキした。電話機の向こうから聞こえてくる声。


「やりたくないん?」


ドラマみたいな展開に、いま体が汚れてるしとか、会ってすぐってどうなん?とか、もう眠いとか、適当にはぐらかすようなことを言ったが、ドキドキしていた。
電話を通じて3人で話したあと、僕は家を出ると不良少年に伝えた。


不良少年は、また真夜中にインターチェンジに様子を見に行くかもしれないと言った。
僕が電話番号か住所か聞いたら、また連絡すると言うと、そういうのはやめようと言われ、
持っていた寺山修司の本を記念に渡したら、読まんと思うけど、持っとくわと言われた。
途中まで歩いて送ってくれた。
こういう突然の出会いって本当にあるんだと思って感動して黙っていたら、不良少年がぽつんと言った。


「こんな家出少年といきなり出会える夜もあるなんて、世の中ホンマにおもしろいな。何が起こるかわからんな」


最近つまらんことが多かったけど、久しぶりに今日はワクワクしたと言われ、僕はその瞬間、もっと感動した。
この少年がこんなことを言う、そのこと自体も感動的だった。


何が起こるかわからない。
明日は楽しいことが起きるかもしれないと思えること。
毎日が退屈な繰り返しでないこと。
それが人生をおもしろくする。


不良少年の松尾かずや君(確かそんな名前)、会えてよかった。






4日目。



写真http://www.flickr.com/photos/photomequickbooth/3966382067/


バスで一気に滋賀から名古屋へ。
エアコンのついた暖かいバスの中で足を乾かし、服を乾かし、体力を回復させる。


名古屋のデパ地下で試食をつまんで歩く。
初めて食べたういろうがとんでもなく美味かった。


名古屋からまたハイウェイバスで一気に東京へ。
着いたのは夜。東京のでかさに感動。ローカル線でそのまま群馬を目指す。


目が覚めたらなぜか新潟にいた。
真夜中。
あわてて飛び降りて、反対車線の電車が来る翌朝まで寒い駅のホームでひたすらたたずむ。
ベンチじゃ寒いし硬いし、眠れない。
人生山あり谷あり。今日はバスに乗れて楽できたから、耐えることにする。






5日目


そのまま始発まで起きて耐えて、群馬へリターン。
群馬にとうとう到着。


タクシーなど乗りたくなかったので、山田かまち美術館を目指して歩くも、遠いし、道に迷う。
人に道を尋ねながら歩いていると、急に車がそばに止まって、美術館の近くまで乗せてくれることに。車の中を見るとその人は足がなく、手ですべて運転操作のできる特殊な車だった。
いろんな人が世の中にいて、助けてくれるなあとぼんやり思っていると、ついに到着。



写真http://dennounews.blog62.fc2.com/blog-entry-558.htmlより勝手に拝借


山田かまちの美術館に来られた。
空いていたので、受付のおばさんに話しかけて今までの旅の経緯を話し、カレンダーやポストカードなど、いろいろオマケしてくれた。


山田かまちに夢中になって、かまちのように感じて、やって、美しがって、生きたいと思った中学3年の頃を思いだした。中3のとき好きだった女の子の顔や話し方を何度も思い出した。


来館ノートがあったので、旅のこと、山田かまちが好きだったこと、もうすぐかまちが死んだ年齢を超えること、今は寺山修司が好きなこと、現実・人生をもっと変えていきたいといったようなことを書いた。


ちなみに、このときのことは、旅から帰ったあと「山田かまち水彩デッサン美術館芸術鑑賞レポート」として授業で提出した。


夜、無事に東京に到着。
神田駅で降りると、風俗関係のちょっと淫靡な雰囲気の呼び込みの女性がたくさんいて、怖くなって東京駅へ移動。


暗くて人気のない場所は怖いので、発想を変えて、人がたくさんいる明るい場所で今日は寝てやろうと考え、東京駅の構内にあったデパート高島屋の前で横たわる。


1時間ぐらい眠ったとき、肩を叩かれて目を覚ました。
警察官だった。
今回の旅で初めてついに出会った警察官。署に連行された。
かばんの中身を全部出せと言われ、ポケットの中も調べられ、軽い犯罪者扱いにショックを受ける。親に電話もされ、確認される。
無罪だと証明されたあとで、宿に泊まる金はあるかと聞かれたので、ないと答えると、


「警察署の前の道で眠るといい。すごく安全だから」


と言われる。
警察署の中で、下手したら布団で眠れるかもなんてちょっと期待してた自分が甘かった、というか警察キビシイ。
今から思うと大東京で16歳の少年が警察署の前の道でダイレクトに地面に顔をこすり付けて眠っているって、異様だよね。
スラムじゃあるまいし。
でも警察公認の路上なのでぐっすり眠れた。




写真http://www.flickr.com/photos/y_i/2348379583/






6日目。



写真http://www.flickr.com/photos/nakisuke/3504637250/



せっかくなので東京の街を歩きまわることにした。
神田の古本屋街というところが、古本がたくさんあってすごいという話しを聞いたことがあるのを思い出し、JR神田駅で降りる。
あとで知ったが、神保町という神田駅からかなり離れた、というか全然違う場所に有名な古本屋街はある。
神田駅から地図で確認し、コンパスでまた歩くことにする。クレイジー。


道に迷って気が付いたら台東区に。
ごはんを買うお金も何もなく、昼前に歩きつかれて公園で休憩することにした。
路上生活者のおじさんたちが朝から酒盛りをしている。
ものすごく笑ってるし、仲が良さそう。
東京の路上生活者のおじさんたちはすごい豊かだなあと思いながら、睡魔が襲ってきたので、ベンチで眠ることに。


しばらく眠って気が付くと、さっきの酒を飲んでいたおじさんの一人が目の前に。


「おにいちゃん、これでジュースでも飲んで」


そういって渡されたのは200円ぐらいの小銭。
10円玉とかがやけに多いのが、胸に染みる。
ポカリスエットを買って飲みながら、このことも一生忘れないだろうなと思った。


午後、神保町の古本屋街で寺山修司の古い本を探してまわった。
たいした収穫もなく、真剣にお金がギリギリになってきたので、いよいよ帰ることにする。
夜間バスより昼間のバスの方が安かったので、翌朝出発することにする。


寝る場所がなかなか見つからなかったが、どこかの家の駐車場に忍び込んで車のタイヤに頭をくっつけて眠ることにした。見つかったら大変。犯罪者だなと思いながら眠る。こんな生活も今日で終わりかと思うと嬉しかった。






7日目。


ハイウェイバスで名古屋へ。名古屋から大阪へ。


バスを降りた駅から家までたった二駅なのに、その電車賃すらなくて、歩いて帰る。
しかし懐かしい見知った風景はスローモーションのようにゆっくりと僕のまわりを取り囲んで、僕はやり遂げた感でいっぱいだった。


日曜日だった。


家に着くと親がいて、ごはんを腹いっぱい食べて、1週間ぶりの風呂に入ってシャワーを浴びると泥水が体から排水溝へ流れた。


旅がついに終わった・・・





写真http://www.flickr.com/photos/sharif/3389991715/

 わたしは、同世代のすべての若者はすべからく一度は家出をすべし、と考えています。家出してみて「家」の意味、家族のなかの自分・・・(中略)・・・という客観的視野を持つことのできる若者もいるだろうし、「家」をでて、一人になることによって・・・(中略)・・・東京のパチンコ屋の屋根裏でロビンソン・クルーソーのような生活から自分をつくりあげてゆくこともできるでしょう。
 やくざになるのも、歌手になるのもスポーツマンになるのも、すべてまずこの「家出」からはじめてみることです。
「東京へ行こうよ、行けば行ったで何とかなるさ」――そう、本当に「行けば行ったで何とかなる」ものなのです。

「家出のすすめ」より








翌日。





写真は母校の名前でグーグル画像検索したら出てきた



朝、始業前に登校すると、教室から顔を出していたクラスメートが突然、
「成瀬が帰ってきた」
と言った。
すぐにひそひそ話しが聞こえ、どうやらみんな僕が旅に出ていたことを知っているようだった。


その日の6時間目はホームルームの時間だった。
担任の先生がいきなり、1時間あげるから、旅の報告をしないかと言ったので、話すことになった。1時間ぴったり一人でしゃべり続け、結果は、大反響。
先生が、もうたっぷり遊んだから、勉強せなあかんなと言ったときは、なんかものすごく変な気分がしたけど。


その日から、他のクラスの人から旅の話しを聞きたいと声をかけられたりもするようになった。


きれいで、性格もよさそうで憧れていたクラスメートの女の子から


「ダーリン、旅の話しを聞かせて」


と言われた。


「俺らも夏休み、旅に出るわ」


と話しかけられて宣言されたりもした。
僕はそういったヒーローのように自分がなることが新鮮で楽しかったし、旅から高校の日常に帰ってきたら、まさに今までの日常が新しい日常に違って見えた。


いろんな生き方があって、いろんな人が世の中にいた方が、おもしろいよな。

ものごとってけっこう何とかなるよな。

人間の可能性って本人が思ってるより、実はすごいたくさんあるんじゃないかな。


僕は人生にいろんな可能性があることを示し、日本中の若い人達に希望を感じさせるような、そんな人間になりたい。このとき思った。
思ったときから、高校を中退しようか考え始めた。


辞めようと思ったら、急に高校生活がいとおしく思えて、今までと逆に勉強もやりはじめて、授業もちゃんと聞いて、文化祭の手伝いもがんばってみた。クラスのカラオケとかにも行った。そうして高校2年の1学期、2学期が去り、3学期、僕は不登校になった。







イメージhttp://www.morguefile.com/archive/display/99436


早朝、ランニングに出かけ、走りながら日の出を見る。
帰ってきて、家でひたすら本を読み、ネットでいろいろな進路の情報を集める。


そんなとき、村上龍の「希望の国のエクソダス」という小説と出会う。
不登校の中学生や高校生がインターネット関連の会社を作り、
さんざん儲けて、日本の通貨危機を救い、
最後は北海道を日本から独立させ自分達の国をつくる。
というストーリー。


「この国には何でもある。だが希望だけがない」


という有名なセリフのこの小説。


この小説の公式サイトを作っていたのは上田学園というフリースクールの学校の学生達。
僕は翌年、上田学園に入学することになる。


高校2年の3学期の終わり、終了式。
僕はクラスのみんなに、教室の前に出て挨拶をした。
楽しいクラスでしたとか、元気でとか、あまり冴えない内容の挨拶だったと思う。
拍手をもらい、サプライズでクラスみんなからの色紙と小さな花束を、当時憧れていた「ダーリン、旅の話しを聞かせて」の女の子から渡された。
担任の先生に、


「青い鳥は東京に行っても見つからないかもしれません」


と言われた。


僕は心の中で
「幸福とは幸福をさがすことである」
というジュール・ルナアルの言葉を口ずさんでいた。

本当に怖いのは、実は原爆でもお化けでもなくて「何も起こらない」ということなのではないだろうか。
「何も起こらない」時代、ロマンスの欠乏。それはいわば、あす何が起こるかを知ってしまった人たちの絶望を意味している。


「書を捨てよ、町へ出よう」(寺山修司)より

近頃は「眠い眠い病」が流行しているそうである。さまざまの人たちが、この「停年までをわかってしまった」日常の中で、何をしてても同じようにしかならない生活の惰眠をむさぼっている。つまり、人生いねむり運転をして、何となく「眠い」毎日をすごしているのである。このようなニヒリスティックな時代にあっては、まさに無人島におけるロビンソン・クルーソーのような、生産と消費の一つ一つが、じかに肉体と密着して新鮮に感じられる感受性の回復がのぞましい。ロビンソンの生甲斐と不安に裏打ちされた「はじめての体験」を生み出すためには、一点破壊主義による人間らしさの回復しか他に道はない、と思われるからである。


「書を捨てよ、町へ出よう」(寺山修司)より


一点破壊主義(一点豪華主義と表現する場合もある)とは、
背広やアパート、食事など、すべてにおいて世間一般並み、平穏無事の生活をしようなどと考えると、普通の大勢の人たちの中にまぎれて自分だけの人生の意味が希薄になってしまう。例えば家はないけどフェラーリを持ってるなど、ある意味、自分の人生を賭けるものを持って時代閉塞から突破口を見つけようという、寺山修司の主張する方法論のことだ。


僕は、旅で出会った不良少年の


「世の中ホンマにおもしろいな。何が起こるかわからんな」


という言葉と、旅から帰ってきてみんなから興味を持たれたこと。
そこから考えて、


世の中に偶然を。奇跡をもっと起こしたい。


いろんな生き方、いろんな人がいた方が世の中おもしろい。


という自分の感覚に、自分の人生を賭けることにした。


中退したのにかかわらず、かつての同学年の卒業式に出席し、卒業アルバムをもらって、あの「ダーリン」の女の子と再会し、メールのやりとりをそれから何年もすることになったりするのは、辞めてから1年後の話。





写真イメージhttp://www.morguefile.com/archive/display/101816


The road is continuing.....








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