ものがたりが始まる

今日の成瀬望

高校生のときに書いた展覧会鑑賞レポートより抜粋「宮沢賢治」


宮沢賢治記念館、宮沢賢治童話村



賢治記念館では、だいぶ親切にして頂いた。「生誕百年記念宮沢賢治の世界展」というゴツくてすごい本を無料で頂いてしまった。その本からの資料も含めてこのレポオトを書いている。



賢治は科学者でもあった。農民に肥料などのアドバイスを無料で行い、農村に科学と芸術を活かした新興文化を目指した。賢治の科学は農学・地質学・化学などだが、それは農業のためだけでなく、鉱物や実験の美しさ、宇宙への憧れのためでもあったのだろう。自然と人間の美しい共存を彼は夢見ていたのだと思う。



賢治は、やっぱり童話が一番魅力的だと思う。彼の童話はみんなイーハトーブという地名の場所が舞台だが、そこは賢治の心象中に存在したドリームランドとしての日本岩手県だそうだ。そこでは、あらゆることが可能で、罪や哀しみでさえ聖(きよ)くきれいに輝いている。それはまことにあやしくも楽しい国土であり、童話集はそのイーハトーブの「心象スケッチ」であるらしい。
僕は何だかそこに人工楽園というか、明るすぎて不自然な感じがしてしまう。太陽や月の光ではなく、電気で照らしたような。彼は、あまりにも夢を見すぎたのではないかと思う。
彼の生前の唯一発売された童話集「注文の多い料理店」の序で彼はこう書いている。

「わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道路線やらで、虹や月あかりからもらってきたのです」

あまりにも、美しすぎる。そしてこう序を締めている。

「けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません」

夢を多く見すぎたため、嫉妬深い現実が復讐し、彼を歴史の舞台から消したのではないだろうか。生きているときには、作品はほとんど評価されず、彼の農民生活は金持ちのお坊ちゃんの道楽のように思われたりもしたらしい。実際、とんでもない百姓だったらしいが、それにしても彼の願いはあまり届かなかったようだ。

賢治は、「風をたべ、日光をのんだ」かもしれないが、もしかしたらそれは「ほんとうのたべもの」ではなかったのかもしれない。



死の十日前、知人にあてた手紙、賢治の自己総括より。


「・・・。しかも心持ばかり焦ってつまづいてばかりゐるような訳です。私のかういふ惨めな失敗はたゞもう今日の時代一般の巨きな病、「慢」といふものの一支流に誤って身を加へたことに原因します。僅かばかりの才能とか、・・・と思ひ、じぶんの仕事を卑しみ、同輩を嘲り、いまにどこからかじぶんを所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ、空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず、幾歳から空しく過ぎて漸くじぶんの築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては、たゞもう人を怒り世間を憤り・・・」


なんて悲しい手紙だろう。この手紙で彼はひたすら自分の悪口ばかり書いている。僕のがんばったり、心を痛めてきたものはみんな、無意味だったんだよって言ってるみたいだ。彼の童話にはたくさんの夢があるが、ハッピーエンド、なんて素敵な結末はない気がする。皆ひどく現実的な気がする。
この現実的な悲しみが生んだ賢治の最高の作品が、あの「雨ニモマケズ」ではないかと思う。


雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモ マケヌ
丈夫ナカラダヲ モチ
慾ハナク
決シテ瞋(いか)ラズ
イツモシヅカニワラッテヰ(い)ル
・・・・・・
・・・・・・


だけど、ひどくいびつだ。彼が自分を比喩した、魂の衝動に翻弄される闘争の光の神「修羅」が、自分自身を封じ込めるために闘っているような、不思議な感じだ。さっきの手紙もそうだが、賢治は苦しみや哀しみに慣れようとしたのが「蜃気楼の消える」原因だったのではないだろうか?


賢治の童話には優しさ、明るさがあると思う。でもぼくは子供のときは、彼の童話がなんだか気味が悪くて怖かった。「銀河鉄道の夜」の絵本は、一回親に読んでもらったあと、二度と開けられなかった。理解できない、美しすぎるものとして強烈に印象に残ったのを憶えている。


ところで、銀河鉄道のモデルとなった岩手軽便鉄道は、賢治のいた花巻と遠野を結んでいた。そして遠野出身の民俗学の先駆者、佐々木喜善に賢治は敬意を払い、2人の交流があったらしい。あの民話の異界と賢治の接点はとても興味深い。
遠野の異界は闇を思わせるが、賢治の童話は光を思わせる。遠野はたくさんのうごめくものたちの気配がするが、賢治は孤独のにおいがする。両者は全く違うもののように思えるが、何かが似ている。