高校生のときに書いた展覧会鑑賞レポートより抜粋「山田かまち」
② 山田かまち水彩デッサン美術館
●
ぼくは、この美術館へ学校を休み、家を飛び出して、一人旅をしてたどり着いた。飽きた日常から逃げ出して。
かまちの作品に出会ったのは、中学2年のときだった。14歳、ぼくはたくさんの夢を見、旅に外国に憧れていた。しかし、それらは何一つ経験とならず、実際に起こらなかった思い出として胸の奥にしみ込んでいくだけの毎日だった。そんなとき、かまちの作品は「精一杯生きてゆけ」という「もう一人の自分」からの魂の叫び声のように感じられた。だがぼくは、方法を持てなかった。かまちに共感するだけで、そこから人生を変えていくには、どうするかわからなかった。
●
作品『乞食は夜泣く』がこの美術館では一番印象に残ったと思う。かまちは「勉強しないと乞食になるよ」とよく祖母に言われていたそうだ。だが彼は高校受験に失敗し浪人し、中学3年のときにはテストを紙ヒコーキにして投げたという。「乞食」はかまち自身の落伍者としての姿であり、「夜泣く」ところが彼の苦悩を表していると思った。かまちのこんな言葉も覚えている。
「高校に行くほど、だんだんぼくはバカになっていく」
あれだけ、やりたいことの多かったかまちにとって高校はどんな場所だったのか?勉強は?そして当時の受験システムは?かまちは、きっとそれらの問題に勇ましく立ち向かって行ったと思う。激しく。17歳で事故死せずに生きていたなら。とても残念に思う。
僕は今、16歳。もうすぐ17歳になる。
「どうすれば、人生を燃焼できるのか?」
●
美術館は、思ったよりずいぶん小さかった。だけど、絵はとてもみずみずしかった。受付のおばさんとは、たくさん話し、ポスターも戴き、大変親切にしていただいた。書き込みノートにも僕の想いを書かせてもらった。僕は、そのノートに、自分はもう、かまちに共感しない。何もしない人生から出て、積極的に生きていく為、あの頃の自分に、悩むかまちにさよならをすると書いた。
しかし、勉強・進路のことで両親と言い争い、こうしてこのレポートを書いていると、山田かまちが愛おしくてたまらなくなってくる。
僕の将来は漠然とし、僕は漠然と生きてきた。どうして人生は思っていたよりこんなにも退屈なのか?そう思いながら。
今回、ぼくはすべての日常を捨てて旅に出た。それは、僕の日常への質問だった。
「このままの人生でいいのか?」
突然学校を休んで1週間の旅だった。たくさんの出会いがあった。とても疲れた。この旅は、僕から僕への挑戦状だった。ときどき、こんな風に感じることがあった。
「僕が僕に成る」
僕は、もっと世界に質問したい。世界の素晴らしい可能性を確かめるため。
人生には、答えは無数にある。
しかし
質問はたった一度しか出来ない。
―寺山修司