ものがたりが始まる

今日の成瀬望

逝きし世と、寺山修司と路上生活のおじさんに学ぶ「遊び」のある社会。

逝きし世の面影 (渡辺京二)を最近読んで以来、本の中で描かれていた、
遊び好きで子供のようだったという江戸末期から昭和初期の
人々の姿が頭から離れない。


自分の高校生時代。
部活の前に男子部も女子部もみんなで一緒に
校庭の片隅でバレーボールをして遊んでいたことを
思いだすことがある。
下校はだらだらみんなでだべりながら毎日帰った。

上田学園にいた頃も、会社にいた頃も、
なんでもないようなことを、だべったり、真面目に話し合いをした。
あの時間が貴重な思い出になっていると、ふと気づくことがある。


それが「逝きし世の面影」と何の関係があるのかといわれると、
あの、どことなく生活に余裕があり、のんびりとした感じが、
似ているように思う。
毎日がせっぱつまっていない感じ。


人生に遊びのある暮らし。
何かあったらおもしろがってやろうという幸せな日々。


そういえば寺山修司も、「遊び」の詩を書いていたことを思い出す。



以下の詩、http://www.asahi-net.or.jp/~cw5t-stu/TERAYAMA/poems/asobi.htmlよりコピペ

「遊びについての断章」(寺山修司


かもめは飛びながら歌をおぼえ
人生は遊びながら年老いてゆく


遊びはもうひとつの人生である
そこにはめぐり逢いも別れもある
人は遊びのなかであることを思い出し、あることを忘れ、そしてあることを捨てる
 

人はだれでも
遊びという名の劇場をもつことができる

 
悲劇 喜劇 活劇 メロドラマ
そこで人は主役になり、同時に観客になることもできる


ぼくは人力飛行にあこがれていました
飛行機はただの道具にすぎなかったが、飛ぶことは思想でした
ぼくは大空を見あげて思いました
プライバシーなんかいらない
フライバシーがほしい、と


遊ぶことは 冒険することであり、
ためすことであり、知ることだったのです

 
ぼくは「運の悪い女」がきらいです
なぜなら「運の悪い女」には、人生が一つしかないからです
遊びは、不運な人たちにも
「もう一つの人生」があることを教えてくれるのです
だからぼくは、いつでも自分に掛ける
 

どういうものか「誰が故郷を思わざる」という歌をうたうと、ツキがまわってくるんです
はじめて競馬場へ行ったとき
はじめて玉突きを覚えたとき
はじめて女を口説いたとき

 
だからぼくは
皆で一度、一緒に唄ってみたらいいんじゃないかと思っているんです
政治の悪い時代には、「誰が故郷を思わざる」でも唄ってみる
そういうもんじゃないのかな、遊びなんて
 

人生が終わると、遊びも終わってしまう

 
しかし、遊びが終わっても人生は終わらない
 

遊びは何べんでも終わることができるから、何べんでもやり直しができる
 

出会いと別れのくり返し


そこが遊びのいいところなんだね


人生では敗けられないが、遊びなら敗けられる
 

そして敗けを知ったものだけが味わえる風景というものがある


「誰が故郷を思わざる」なんて唄は
競馬をやったことのある者にしか、味わうことができない唄ではないだろうか

 
 

人生が、いつばん安上がりの遊びである

 
死が、いちばん高くつく遊びである

 

 
遊びは、人生の時刻表である

 
人はそこに立ち止まり、自分の乗る汽車をえらぶ

 
人生は汽車である
旅をしながら年老いてゆく

 

 
遊びは不幸な人間の第二の人生である

 
遊びは不幸な人間の第二の魂である

 
人は誰でも、もう一つの人生をもつことができる
それは遊びである
ドストエフスキーは言っている
「一杯の茶のために、世界など滅びていい」

 
夢の中で無くしたものを


目がさめてからさがしたって見つかる訳はない

 
現実で失くしたものを、夢の中でさがしたって見つかる訳はない
 

人は誰でも二つの人生をもつことができる
 

遊びは、そのことを教えてくれるのです

 

「遊び」というもうひとつの人生。
「もうひとつの人生」という名の遊び。
失敗や不運は笑い飛ばしてしまえるような、
そんな遊びのある人になりたい。


遊びのある人生を生きたい。
十年後ぐらい、今までの失敗や不運を思い出して笑っていたい。


笑って許し合う、認め合う、
遊びある社会にもっと日本がなるといいな。



淀川の堤防で出会った路上生活者のおじさんは、
手作りの家を楽しく飾っていた。
あのおじさんのように、
快適に愉快に自分の周りのモノに気を配る人が増えると、
きっと日本はもっと写真の撮りがいのある、
美しい国になるんじゃないかと想像する。




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